【1】始まりの色

【1】始まりの色

 雪の白。炎の赤。煙の黒。空の青。
家と呼ぶには粗末な小屋が燃えている。
現実味のない光景をイオラは眺めていた。
「出ていけ」
物が燃え崩れる音の中でも、しわがれた声が耳に届く。数年ぶりの村長の声。
別段、何の感情も湧かない。自分たちがいるときに火をつけられなかっただけマシだと吐き捨てられる程に、心は冷えていた。
「イオラ……」
不安を滲ませた声に、イオラは隣を向く。
「大丈夫、ルオ」
握った手だけが温かい。
色と音だけの世界。これは夢だと確信を持つと、イオラの意識は遠のいた。

__朝だ。
薄暗い部屋に冷たい空気。隣で眠るルオの手を握っている。これでは夢の中でも温かいわけだと、イオラは小さく笑みを洩らす。
夢は数日前に現実に見た光景だった。自分でも驚く程に思考が冷え切っていたのを覚えている。
あの場にいては殺される可能性があると、ルオの手を引いて走った。
住処を燃やされながらも、イオラが冷静でいられたのには理由がある。
彼は小屋を燃やされる少し前に、前世の記憶らしいものを思い出していた。
今生きている世界とは全く違う場所で生きた記憶。生々しくとはいかなかった。誰かの伝記を読んで丸暗記したような感覚だ。
思い出したイオラはそれの使えなさに落胆した。
文明が違う。物理法則が合致するかも怪しい。生物の構造も異なっている。
山の中で暮らす自分たちに役立ちそうなものは少ないと判断。使えそうなものを見繕って、行動に出た。
数日後、小屋が燃やされる。
いつか追い出されるだろうとは予想がついていた。念の為と分散させて森に隠しておいた荷物や金銭を回収しながら、故郷の山を下りて街を目指した。
昔、大人から聞いた冒険者という生き方。自分の力があれば稼ぐ事ができる職業。何も持たない十五歳の子供が二人で生きていくには、それになるしかないと。冒険者ギルドがある街を目指した。
幸い、冒険者ギルドはすぐに見つけることできた。すぐに冒険者として登録を済ませ、今は冒険者見習いとしてギルドが運営している宿に部屋を取っている。
節約の為に一人用の部屋を二人で使っているが、住んでいた小屋よりはずっと心地いい。
二人分の体温で温かいベッドを堪能していたイオラは、窓の外が朝焼けの赤色に染まるのを目に留める。
(おそろい)
イタズラをするような高揚感で、未だに眠るルオの髪に手を伸ばす。
シーツに散らばる真っ赤な色の髪。今は閉じている瞳も同じく赤色。この世に赤色は数多くあるが、イオラが一番愛するのは彼の赤色だった。
短く切られた髪に触れる。ナイフで粗雑に切られたぼさぼさ頭。最近は生活環境が良くなった事もあり、艶が出てきた気がする。
優しくとはいえ遠慮なくイオラが髪を撫でていると、ルオが目を覚ました。
「おはよう……」
「おはよー、もう朝だぞ」
眠たさを全面に表したルオの声にイオラは笑う。そのまま頭を撫で続けていると、ようやくルオの頭が動き出したらしい。
「何で撫でられてるの?」
「目の前に綺麗な赤色の頭があったから」
「じゃあオレも撫でる」
伸びてきたルオの手が、イオラの青い髪をかき混ぜる。
「これ撫でてねーよ、ぐっちゃぐちゃ」
「イオラの青色の方が綺麗だよー」
「お前まだ寝てるな?」
「起きてるよ。ぐー」
「おーきーろー」
寝たフリをするルオの腹に、布団から出していて冷えた手を押し付ける。
「わっ!そんなに冷えてもう」
「あー、ぬくい。もう少しこうしてたい」
「でももう起きなきゃね」
「朝メシ食いに行かなきゃな」
ある程度じゃれあってから、意を決してベッドから出る。温かい場所から出てしまえば、冬の空気は目を冴えさせた。
二人は身支度を整え、宿の一階にある食堂へ下りた。

「イオラ、ルオ、おはよう!」
食事を取っていると入口から聞きなれた声。
彼女は赤茶色のポニーテールを揺らし、慣れた様子でイオラとルオのテーブルに座る。
「おはよ、先輩」
「おはよう。アイカ先輩」
二人に先輩と呼ばれるアイカは冒険者ギルドに所属する教官の一人。冒険者として登録すると見習いとなり、教官から冒険者としての基礎知識を学ぶ事になっている。ギルドが定めた研修を終えると冒険者として認められることになる。
「君たちは相変わらず朝が早い」
アイカは担当となった少年たちを気にかけていた。少しでも教えられる時間は多い方がいいと、朝早くから食堂に向かい、顔を合わせる。
このような熱心な教官は、煙たがられることも少なくない。ただ、自分たちの無知を自覚し、学ぶことに貪欲な二人とは相性がよかった。
「明るい時間は動かないとな。それに今日の試験に受かれば冒険者だろ? 早く目が覚めたよ」
昨日から高揚していると話すイオラ。パンを片手に頷くルオの表情も、浮ついた様子が隠せていない。
今日は研修最終日。アイカから出される試験に合格すれば、冒険者として認められる。
「その意気や良し! 万全の状態で挑んでくるといい。しっかり食べるんだぞ」
君たちは食事量が少ない、もう一品追加はどうだ、と快活に笑うアイカ。
「この後アンタと戦うってのに、腹いっぱいにしてられるかよ」
「身体が重くて動かない、なんてのは嫌だもんね」
これが万全だと主張するイオラと、勝ちを取りに行くつもりのルオ。
冒険者となる為の最終試験は、戦闘試験だった。

冒険者は魔物が蔓延るこの世界を渡り歩かねばならない。
魔物とは魔力を持つ獣の総称だ。人間や他種族を襲い、餌として喰らう。街や村などは人間の縄張りではあるが、縄張り争いも起こるために油断はしていられない。街や村といった人間の場所以外は、魔物の縄張りであるといっても過言ではない。
魔物は命を絶たれると体の大半は塵となって消滅する。残るのは魔力を蓄えた魔石と身体の一部。これらは魔物素材と呼ばれ、加工して利用される事が多い。冒険者はこれを売って路銀を稼ぎ、旅を続ける。
魔物が倒せないのなら、冒険どころか移動することが困難である。
故に冒険者と認められるには、自身で戦う力を示さなくてはいけない。
試験内容はギルドが捕まえてきた魔物を全て倒すことと、どのギルドでも決まっている。
イオラとルオの試験に用意された魔物は二種類。人間より数回り大きい体躯、狼の特徴を持ち、二本足で歩行するワーウルフが一体。不定形で半透明の軟体生物、両手で抱えられる大きさのスライムが三体。両方ともこの地域でよく見られる魔物であった。
教官は冒険者見習いの戦闘能力に関与してはいけない。というルールがある。戦う力は自分で得てから登録に来いという方針だ。自らの意思で強くなろうとしない人間を冒険者として認めても、野垂れ死ぬだけだと。
アイカはイオラとルオが戦うのを見るのはこれが初めてとなる。
「手段は問わない。君たち自身の力で今から放たれる魔物全てを倒せば合格だ。この広場から魔物か君たちが出てしまうこと、時間をかけすぎると能力不足と見なされて失格となる。質問は?」
食堂から移動して、ギルドが管理している広場で二人はアイカからの説明を受けていた。広場の真ん中には魔物が入っている檻が揺れている。
「はい。魔物にトドメをさした方だけが受かっちゃうとかある?」
「ない。君たちは二人で一つのパーティとして登録されているので、二人同時の試験となっている。今回はパーティとしての能力を測るからな。落ちるのも受かるのも二人一緒というわけだ。個人での試験が良ければ変更も可能だが」
イオラの質問にアイカが答え、ルオが嫌そうに首を振る。試験を分ける気はないという無言の訴えに、アイカは小さく吹き出した。
「はい。自身の力って言ってたけど、武器は使っていいんですか?」
次の質問はルオ。微かにアイカの表情が困ったものに変わる。
「武器は使って構わない。というか使ってくれ。魔法や魔術も問題ない。自身の力というのはな……昔どうしても冒険者になりたくて、親の権力を使う者や外部から人を雇ってパーティと言い張る者がいたんだ。その名残だよ」
「それ合格しても、魔物に勝てなくて冒険できないんじゃ」
「イオラの言う通りだ」
雑談めいてきた所で、魔物が入れられている檻が一際大きな音を立てる。
「おっと、そろそろ奴らも限界か」
イオラとルオは知らないが、魔物の逃走防止策として、試験に使う魔物は飢餓の状態にされている。檻を開ければ餌を求めて近くの人間に襲いかかる状態である。
「さあ、始めようか」
アイカの声に弛緩した空気が引き締まる。
イオラは小ぶりなナイフを、ルオは飾り気のない手甲を構えた。
「始め!!」

見事な手際だとアイカは感心する。
イオラとルオは確実かつ手早く、四体の魔物の討伐を終わらせた。
真っ先にイオラを狙ったワーウルフはナイフで首を掻っ切られ、更に両手足を刺されて無力化。その間にルオは、全てのスライムの核を正確に手甲を纏った拳で貫いた。
全ての魔物を倒した後も、死骸が塵となって消えるまで構えを解かなかった姿に、アイカは二人の評価を更に上げる。
「そこまで。二人とも文句無しの合格だ!」
おめでとうと拍手を贈ると、二人は嬉しさを隠しきれない様子で駆け寄ってくる。
「合格!」「やったね!」「冒険者だ!」「わーい!」
手を取り合い跳ねて喜ぶ二人の姿を微笑ましく感じ、見守っていたアイカは声をかける。
「素材にワーウルフの毛皮が残ったな。冒険者試験合格の記念として持って帰る者も多い、君たちはどうする?」
魔石以外の魔物素材は何が残るかは運任せだ。何も残らないことも多々ある。
「どうすっかな」
「これは売っちゃってもいいの?」
先程までの浮かれようとは違い、イオラはどうするかを悩み、ルオは売ることを提案してきた。
「この試験で出た素材は君たちのものだ。好きにするといい。しかし、ワーウルフを飢餓状態にしてあったからか、その毛皮は毛艶がないように見える。値段は期待できないぞ」
「多少でも金になるなら売っちまうかな。ルオもそれでいいか?」
「いいよ。荷物は少ない方がいいもんね」
先程まで合格にはしゃいでいたかと思えば旅のことを考えて冷静な判断をする。戦闘においても落ち着いていた。
子供の無邪気さと、どこか冷めたような判断。アイカは少しばかり気になったが、悪いものではないだろうと飲み込んだ。
「でさ、これと魔石を売った金も使って先輩にメシ奢るよ」
「いっぱいお世話になったから、最後は奢ろうって言ってたんだ」
はにかむように笑うイオラとルオを見て、アイカは彼らを冷めているのではないかと疑った自分を少しだけ恥じた。
「何を言っている!君たちの合格祝いだぞ?たんと食わせてやるから、期待しているといい!」

合格祝いだと、昼間の食堂で三人は飲み食いをしていた。久しぶりに見るテーブルいっぱいの料理にイオラとルオは目を輝かせた。
といっても冒険者になった者への説明混じりではあるので、祝勝会と呼ぶほど浮かれてはいられない。
「……と、色々説明してきたが、冒険者は冒険者ギルドに身元を証明されているから、動きやすということだ。ルオ、登録抹消の条件は?」
「悪いことしたり、冒険者ギルドに百日顔を出さない。だよね」
「そうだ。犯罪者の身元を保証する訳にはいかないからな。ギルドに行き忘れてうっかり登録抹消された場合は、料金はかかるが再登録ができるから利用するといい」
冒険者ギルドは魔物素材の買取や、冒険者に対する依頼も掲示されている。冒険者が金銭を稼ぎやすくなる。その辺りもメリットだ。
百日間も稼がなくてもいい状況、というのをイオラは想像できなかった。
「さて、これだけ忘れなければ、冒険者として何とかなるだろう。君たちはもう旅立つのかい?」
アイカの問いに二人は動きを止める。
山で暮らしていた頃は金銭を必要としなかった。獲物を狩り、喰らい、寝床で眠る。ケモノのような生き方だった。
数年前に生きる為の知識と道具、ある程度の金銭を与えられた。生活環境が改善され、今年の冬は真白い地獄に怯えずに済んだのは大きい。
今後もこうして暮らしていくには、自分たちで稼がねばと冒険者になった。
「何にも考えてなかったな……」
思いのほか深刻な声色になり、イオラは苦笑するしかなかった。
死にたくないから生きる。生きていくなら、ほんの少しでも苦しくない方がいい。今を何とかしたいだけで、未来や生き方についての希望なんて持ち合わせてはいない。
「では旅に出てみるのはどうだ。君たちは冒険者なのだから、旅をしながら気ままに生きるのも悪くはないだろう。どこかいい場所を見つけたのなら、居を構えることを考えればいい」
好きに生きていいと、言われた気がした。
「だったら、海を見に行ってもいい?見たことないんだ」
「ああ。西を目指していけば海沿いに出られる。海の魚は美味いぞー」
「本当!?ねぇイオラ、行こうよ」
ルオとアイカの話題についていけなくなる頃、いきなり話が振られたイオラ。
「おう……」
早すぎる展開についていけずに、気の抜けた声が出る。
「海はだめ?」
「……だめじゃない」
うん。だめなわけがない。行かない理由はなく、行けない理由もない。
行く理由は今できた。
「海を見に西へ行こう」
何もない俺たちだけど、何もないからこそ、どこへでも行ける。
赤と青の新米冒険者の目的は決まった。
見たことがないものを見に、まずは西へ。